セッションの感想

昨日、伊藤マナさんのセッションを受けました。
 

ここのところ、ものすごく苦しくて
でもなぜそういう感覚になるのは全くわからなくて
だけど、とにかくとにかく苦しく感じていて。。
 

自分の中でいったい何が起こってるのか知りたくて、申し込みました。
 

⋆ฺ。*
 

はじめに、わたしが感じていることをぽんぽん浮かんだままに吐き出して、マナさんが傾聴してくれる。
 

そしてoshoカードを引いて、出たカードは

Clinging to the Past
 

わたしはこのカードを見た時『混乱』を感じた。
 

oshoカードと傾聴の中でわかったわたしの今のキーワードは『わからない』と『混乱』
 

「話を聞いていると、まなちゃんの中にいろんなまなちゃんがいる感じがする。いろんなまなちゃん、それぞれの主張が激しくて、わたしがわたしを統治(統合)できない混乱が起きている感じがするんだけど、どう感じる?」
 

とマナさんに聞かれて、わたしの中で
その言葉がものすっっっごく腑に落ちた。
 

本当にわたしがわからない。
これはもう、ずっと抱えてきたことだった。
 

自分の中がどんなふうになってるのか、なんでこんな(苦しい)ことになってるのか、なにがなになのか、もう全然わからない。
わたしの捉え方や感覚と、人の捉え方や感覚の違いをものすごく感じるけど(マイノリティ)このわたしの感覚はまちがってるの??どう扱ったらいいの?!
とにかく、わからない!
そんな感覚がすごくあった。
そしてそこを、丁寧に感じてみると
 

①絶望してる自分
②天真爛漫な自分
③怒っている自分
④暖かくて柔らかくて包み込む自分
 

が、いた。
 

さらに、
①の中には嘆いて悲嘆してる自分が
②の中には愛着障害と背中合わせな自分が
③の中には「わからない」自分が
④の中にはお節介を焼き、人の領域まで入り込んでしまう自分がいることが、わかった。
 

この4つの自分+今のわたし、で エンプティチェアをした。
 

配置は
①今のわたし③
の並びで
④がその周りを居場所がない感じでふわふわ漂っている。
②は部屋を超えて、ものすごく遠いところで
あっちを向いて(こちらに背を向けて)座っている。
そんな並びになった。
 

そして『混乱』は、体のどこで感じるのか
マインドフルネスになって感じる。
 

わたしは体のどこでもない、《魂だ》という感覚がものすごく湧いて
「魂です」と伝えた。
 

ここからまた、マナさんに傾聴してもらって
自分の中にある感覚を吐き出して行く。
 

「その魂は今、どんな感じ?色とか、質とか、どんな感じ?」とマナさん。
 
「燃えカス。殆どがもう風に飛ばされてしまって、かろうじて真っ黒になった、炭になった少しの燃えカスだけが残ってる。わたしはそれを、これだけは飛ばされない様に!って両手で包んで必死に今まで守ってきた感じがする。。」と答えた。
 
それを自分で聞いたとき、
 
「あぁなんて可哀想なんだろう。そして、なんて健気に守ってきたんだろう。。」
 
って涙が溢れた。
 

ここからどういう流れになったのかあまり覚えていないけど、
わたしが時々思い出す光景(思い出)を見て行くことになった。
 

わたしが小学校4年生の時、足の悪いおじいさんが雨の中 ずぶ濡れになって道を歩いてるのを見つけた。
その人に「あの。。傘貸してあげましょうか?」と聞いた。おじいさんは「あぁ大丈夫。ありがとう。」と言って、その場は終わった。
後日、このおじいさんがこのことを学校に連絡して
わたしは全校集会で評されることとなった。
 

わたしは、このエピソードはこれだけだと思ってた。
だけど、丁寧にみていくと
小学生の小さなわたしは
ものすっっっごく怒っていた。
 

「学校に言いやがって!!わたしはそのせいで晒し者になった!!こんな風になりたかったわけじゃない!!わたしとおじいさん、2人の話にしておいて欲しかった!!ふたりの小さな物語、小さなふれあい、小さなあたたかさ。。わたしはこの小さなものが大好きなのに!!こんなに大ごとにしやがって!!みんなに見られて、こんな恥ずかしい思いをさせられたのは、お前のせいだ!!」
 

このエピソードには、本当はこういうわたしの本音と、願いと、何よりもどうしてこんなことになっちゃったんだろうという混乱があった。だけど
 

「おじいさんに、そんなこと言ったら可哀想。。傷つけちゃう。。」
と思って、封印した。
 

【わたし】と【おじいさん】のエンプティチェアで
わたしになっておじいさんにとことん怒りをぶつけた。
 
そして【おじいさん】になって傷付けてしまってごめんね。そんなつもりはなかった。ただただ嬉しかったんだよ。本当にごめんね。と【わたし】に謝った。
 

ここにこんなものが隠れていたなんて、
こんな本音があっただなんて
本当にびっっっくりした。
 

わたしがこの(セッション)部屋の中で過ごす流れの中で
②の天真爛漫の椅子の方ばかりを見て話していることにマナさんが気付いた。
 
「まなちゃん、ずっとこの子(②の子)見て話してるね。この子のこと、どう感じてる??」
 

と聞かれて、その瞬間わぁっと悲しみの涙が出てきた。
 

わたしはこれがあったら生きていけなかった。
生きて行くには邪魔だった。
自分でひと刺しひと刺しこの子を「邪魔だ!」といって突き刺して殺してきた。と、口から出ていた。
 

『なんて可哀想なことをしちゃったんだろう。。』
 

と涙が溢れる。
 
『守ってあげたかった。。』
 
と、涙が次から次へと溢れる。

 

(忘れちゃっててここに全部は書ききれてないけど)こういう一連の流れのあと、最初に配置した椅子がどう変化したのか並べ直す。
 

今度は
②今のわたし④
になり、
①と③はすぐ後ろに背中合わせに置いた。
でも④が、①と③をよしよししている。
 

そんな配置だった。
あんなにも遠かった②の子が、今はぴたりと横にいる。
すごくすごく、嬉しかった。
 

ここまでやったあと、終わりに
今のわたしの状態での《魂》を感じた。
 

そうしたら驚いたことに
あんなに必死になって両手で守らなければいけなかった燃えカスが
砲丸玉くらいの、ものすっごい重たい球になっていた。
 

ただ、この時のわたしの感覚は
「まだ(今ここでやっておきたいものが)ある。。」
 
と思った。
 
だから、その時点で2時間経っていたけど
泣いて泣いて疲れてきたけど
でももうこれを持ってる方が本当に辛いから
セッションの延長をお願いした。
 

そんな前半。
 
⋆ฺ。*

自分の記憶にあった、自分ではなんでもないと思ってた思い出に
こんなにも深い感情と本音があったのかと
本当に驚きました。
 
 

マナさんの、とてもとても自然な在り方。
ことばややり方に全く強引さを感じない、
いい・悪いのジャッジメントもない、
それでいて存在はとてもパワフルで
わたしと同じ覚悟でここにいてもらえている。
この人がいてくれるから、わたしは安心して深いところまで潜っていけるという絶対的な心強さと安心感。
 

とても不思議な感覚でした。
 

 

セッションをする前と終えての変化↓昨日、伊藤マナさんのセッションを受けました。
 

ここのところ、ものすごく苦しくて
でもなぜそういう感覚になるのは全くわからなくて
だけど、とにかくとにかく苦しく感じていて。。
 

自分の中でいったい何が起こってるのか知りたくて、申し込みました。
 

⋆ฺ。*
 

はじめに、わたしが感じていることを
ぽんぽん浮かんだままに吐き出して、
マナさんが傾聴してくれる。
 

そしてoshoカードを引いて、出たカードは

Clinging to the Past
 

わたしはこのカードを見た時『混乱』を感じた。
 

oshoカードと傾聴の中でわかった
わたしの今のキーワードは
『わからない』と『混乱』
 

「話を聞いていると、まなちゃんの中に
いろんなまなちゃんがいる感じがする。 
いろんなまなちゃん、それぞれの主張が激しくて、わたしがわたしを統治(統合)できない混乱が起きている感じがするんだけど、どう感じる?」
 

とマナさんに聞かれて、わたしの中で
その言葉がものすっっっごく腑に落ちた。
 

本当にわたしがわからない。

これはもう、ずっと抱えてきたことだった。
 

自分の中がどんなふうになってるのか、
なんでこんな(苦しい)ことになってるのか、
なにがなになのか、もう全然わからない。

わたしの捉え方や感覚と、
人の捉え方や感覚の違いをものすごく感じるけど(マイノリティ)
このわたしの感覚はまちがってるの??

どう扱ったらいいの?!
とにかく、わからない!

そんな感覚がすごくあった。

そしてそこを、丁寧に感じてみると
 

①絶望してる自分
②天真爛漫な自分
③怒っている自分
④暖かくて柔らかくて包み込む自分
 

が、いた。
 

さらに、
①の中には嘆いて悲嘆してる自分が
②の中には愛着障害と背中合わせな自分が
③の中には「わからない」自分が
④の中にはお節介を焼き、人の領域まで入り込んでしまう自分がいることが、わかった。
 

この4つの自分+今のわたし、で 
エンプティチェアをした。
 

配置は
①今のわたし③の並びで
④がその周りを居場所がない感じで
ふわふわ漂っている。
②は部屋を超えて、ものすごく遠いところで
あっちを向いて(こちらに背を向けて)座っている。
そんな並びになった。
 

そして『混乱』は、体のどこで感じるのか
マインドフルネスになって感じる。
 

わたしは体のどこでもない、
《魂だ》という感覚がものすごく湧いて
「魂です」と伝えた。
 

ここからまた、マナさんに傾聴してもらって
自分の中にある感覚を吐き出して行く。
 

「その魂は今、どんな感じ?
色とか、質とか、どんな感じ?」とマナさん。
 
「燃えカス。殆どがもう風に飛ばされてしまって、
かろうじて真っ黒になった、炭になった少しの燃えカスだけが残ってる。わたしはそれを、これだけは飛ばされない様に!って両手で包んで必死に今まで守ってきた感じがする。。」と答えた。
 
それを自分で聞いたとき、
 
「あぁなんて可哀想なんだろう。
そして、なんて健気に守ってきたんだろう。。」
 
って涙が溢れた。
 

ここからどういう流れになったのか
あまり覚えていないけど、
わたしが時々思い出す光景(思い出)
を見て行くことになった。
 

わたしが小学校4年生の時、足の悪いおじいさんが雨の中 ずぶ濡れになって道を歩いてるのを見つけた。
その人に「あの。。傘貸してあげましょうか?」と聞いた。おじいさんは「あぁ大丈夫。ありがとう。」と言って、その場は終わった。
後日、このおじいさんがこのことを学校に連絡して
わたしは全校集会で評されることとなった。
 

わたしは、このエピソードはこれだけだと思ってた。 
だけど、丁寧にみていくと
小学生の小さなわたしは
ものすっっっごく怒っていた。
 

「学校に言いやがって!!わたしはそのせいで晒し者になった!!こんな風になりたかったわけじゃない!!わたしとおじいさん、2人の話にしておいて欲しかった!!ふたりの小さな物語、小さなふれあい、小さなあたたかさ。。わたしはこの小さなものが大好きなのに!!こんなに大ごとにしやがって!!みんなに見られて、こんな恥ずかしい思いをさせられたのは、お前のせいだ!!」
 

このエピソードには、本当はこういうわたしの本音と、願いと、何よりもどうしてこんなことになっちゃったんだろうという混乱があった。

だけど
 

「おじいさんに、そんなこと言ったら可哀想。。
傷つけちゃう。。」
と思って、封印した。
 

【わたし】と【おじいさん】のエンプティチェアで
わたしになっておじいさんにとことん怒りをぶつけた。
 
そして【おじいさん】になって傷付けてしまってごめんね。そんなつもりはなかった。ただただ嬉しかったんだよ。本当にごめんね。と【わたし】に謝った。
 

ここにこんなものが隠れていたなんて、
こんな本音があっただなんて
本当にびっっっくりした。
 

わたしがこの(セッション)部屋の中で過ごす流れの中で
②の天真爛漫の椅子の方ばかりを見て話していることにマナさんが気付いた。
 
「まなちゃん、ずっとこの子(②の子)見て話してるね。この子のこと、どう感じてる??」
 

と聞かれて、その瞬間わぁっと悲しみの涙が出てきた。
 

わたしはこれがあったら生きていけなかった。
生きて行くには邪魔だった。

自分でひと刺しひと刺しこの子を「邪魔だ!」といって突き刺して殺してきた。と、口から出ていた。
 

『なんて可哀想なことをしちゃったんだろう。。』
 

と涙が溢れる。
 
『守ってあげたかった。。』
 
と、涙が次から次へと溢れる。

 

(忘れちゃっててここに全部は書ききれてないけど)こういう一連の流れのあと、最初に配置した椅子がどう変化したのか並べ直す。
 

今度は
②今のわたし④
になり、
①と③はすぐ後ろに背中合わせに置いた。
でも④が、①と③をよしよししている。
 

そんな配置だった。
あんなにも遠かった②の子が、今はぴたりと横にいる。
すごくすごく、嬉しかった。
 

ここまでやったあと、終わりに
今のわたしの状態での《魂》を感じた。
 

そうしたら驚いたことに
あんなに必死になって両手で
守らなければいけなかった燃えカスが
砲丸玉くらいの、ものすっごい重たい球になっていた。
 

ただ、この時のわたしの感覚は

「まだ
(今ここでやっておきたいものが)ある。。」
 
と思った。
 
だから、その時点で2時間経っていたけど
泣いて泣いて疲れてきたけど
でももうこれを持ってる方が本当に辛いから
セッションの延長をお願いした。
 

そんな前半。
 
⋆ฺ。*

自分の記憶にあった、自分ではなんでもないと思ってた思い出に
こんなにも深い感情と本音があったのかと
本当に驚きました。
 
 

マナさんの、とてもとても自然な在り方。
ことばややり方に全く強引さを感じない、
いい・悪いのジャッジメントもない、
それでいて存在はとてもパワフルで
わたしと同じ覚悟でここにいてもらえている。
この人がいてくれるから、わたしは安心して深いところまで潜っていけるという絶対的な心強さと安心感。
 

とても不思議な感覚でした。
 

 

セッションをする前と終えての変化↓

後半はリーディング。
 

これはなんて言うものなのか 
表現するのが難しいけど、  
ひとつひとつわたしの許可のもとに
潜在意識の書き換えをする。
というものだった
(と理解しています😊)
 

リーデングで、潜在意識の書き換え。。

目に見えない領域のことが行われている
時間の中で途中からなんだか
すごくワクワクワクワクしてきて
《歓び》が内側の奥底から湧き出てくる感じが
すごくして、わたしは下を向き
マナさんに行いを委ねながら顔は笑っていた。
 

すごく不思議だった。

ワクワクが泉のように溢れ出してくる感覚。
 

これが終わって、
さらに自分の《魂》を感じた時
砲丸玉がボーリングの玉になっていて驚いた。
 

ものすっごい存在感。

静かに、そしてずっっっしりとそこに鎮座していた。
 

『もうなんか無敵じゃんっ!!』
って、根拠のない力がどんどんみなぎる💪🔥✨
 

《わたしは、わたしでいい》
そして
《わたしは、わたしにしかなれない》
 

自分がとんでもなくマイノリティだと
言うことを感じて、
ここにもものすごく混乱してたけど
もう何事にも揺るがない確かな自信がついた。
  

マナさんに
『なんか。。(わたし)
こんなにぶっ飛んじゃってていいんですか?!
でも、これでいいんだし、
これがわたしですもんね?!』
 
って言ったら
 
『何言ってんの!!
ぶっ飛んでる人がここにいるよ!!』

ってマナさんが自身を指差してて大笑い🤣😂
 

『ほんとだーーーーーーーっ❣️🤣😂』
 

こういうセッション以外の、

何気ない会話の中にも宝物がいっぱいあった💝✨
 

この言葉で、すごくすごくいい意味で諦めがついた🥰

何を怖がってたんだろう。

何を見てたんだろう。

(世間では)ぶっ飛んでるっていわれる人が
思いっきり目の前に(LPLにいっぱい)いた😂✨

仲間がいる❣️
 
そしてわたしは、そういう人たちと
出会えたことで大きく救われたんだった。
 

とても大きな気づきだった。
 

自分で自分の痛みを癒す、尊い時間。

感謝でいっっっぱいの、
とても愛に溢れた時間でした🥰
 

マナさん、ありがとうございました。

そしてこれからも、お世話になります🙏💓

投稿者プロフィール

いとうまな
いとうまな
海外でのスキューバダイビングインストラクター活動中に、地球・宇宙・自然・人間に流れる自然エネルギーを体感。

帰国後、子供を亡くす体験からメンタルな分野に興味を持ち、35年歳の時に、高野山で修行し阿闍梨となる。

その後、量子論・宇宙論・生理学・心理学・瞑想などをさらに深く学び、個人と組織の変化をサポートし「個人と社会のための内面からの変革」「地球規模での生き方・ 意識のシフト」をモットーに活動を始め、現在に至る。

詳しいプロフィールはこちら

コロナ特別企画オンラインセッション

世界が緊急状態だからこそ、自分が何が出来るかを見つめる時期だと考えています。
今、この世界で起きていること、穏やかに受け止められるようセッションいたします。